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私と病気と今と。1

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この記事ではまず、

1 私(柚葉)が元々どんな人間だったか

に触れていきます。

 

 

 

私、柚葉は5人兄弟の長女として産まれました。

年子に弟がおり、家族・兄弟仲は良く、周りからも「家族みんな仲良しだね!」と言われているような家族です。

 

 

そんな私は、昔から「人が大好き」です。

家族大好き、友達大好き!皆と仲良くしたい!という人間です。

幼少期は幼馴染のお兄ちゃんや妹8人くらいで遊び、男女関係なく公園で遊んだり、ゲームをしたりしていました。

 

小学生になっても変わらず友達が大好きで、男女関係なく遊んでいました。

ですが、小学校中学年になってくると変わっていきます。

クラスでは、男子と女子 という区別がハッキリしてきて、男子は男子だけ、女子は女子だけで遊ぶようになりました。

クラス内でグループができ、小さな集団ができます。男女の組み合わせになると、恥ずかしい気持ちになったり、ひやかしがあったりしました。

これを思春期といいます。

周りの女子がそうなっている中、年がほとんど変わらない弟や、幼馴染の兄に囲まれて育ち、人が好きな私は、男子とも普通に遊んでいました。

 

勿論、いつも学校で一緒にいるのは女の子の友達です。

でも、趣味のゲーム(たまごっちとポケモンが大好き)や、虫や魚などの生き物が好きな私は、男の子と遊ぶことが多かったです。

ゲームをしたり、虫取りをしたり、魚取りをしたり……女の子と遊ぶのも大好きでした。でも、こうして男の子と遊ぶのも大好きでした。

 

小学校高学年になると、男子と女子は別の生き物として線引きがされます。

学年全体が思春期に入り、クラス内では格差社会が生まれていきました。

男子の中で格差社会があったのかはわかりませんが、女子の中では、勉強もできて運動もできる子を中心にグループができていたような気がします。

女子同士での会話はもっぱら恋愛の話で盛り上がっていました。

 

そんなグループと格差社会ができている中、男女関係なくみんな友達!みんなと仲良くしたい!という私は、相変わらず男子とも遊び、女子とも遊び、学校では絵を描いたり勉強したりしていました。

 

きっとその様子が気に入らなかったんでしょう。

ある日、クラスの女子数人が1人の男子を隅で蹴っていました。

多分、一種の遊びだったんだと思います。

私のクラスでは男子より女子が率先して役員や係をしていたので、男子は立場が弱いところがありました。

いつも通り、いつものように女子たちは笑いながら遊んでいたのですが、その時の私は何故か「蹴られている」という行為が許せませんでした。

だから、なんとなく普通に「やめなよ、可哀想だよ」と声をかけました。

声をかけられて振り向いた女子の顔はなんとも言えない怒ったような、無表情のような顔をしていました。

じっと私を見て、何か言いたそうにしていました。

 

 

その日からしばらくして、クラスで移動教室前に並んでいる時、変わらず女子たちと話していると一人の女の子が「柚葉ってさ、男好きだよね。」と茶化すように笑って言いました。

意味がわかりませんでした。

周りの女の子たちは「そうだよね!」と共感の声をあげて、笑っていました。

その女の子たちは、クラスの格差社会でも上位にいる、勉強も運動もできる子達でした。

 

そこで初めて、私はみんなと「何か」違うと思い始めました。

 

 

しばらくして、クラス内で様子が少しずつおかしくなっていきました。

男子と話せば「男好き」と言われ、遊べば「付き合ってるの?好きなの?」と言われました。

でも、変わらず学校に行き、男女関係なく遊びました。

放課後も男子とゲームするために遊びに行ったり、女子とは家でお菓子パーティーをしたりして遊びました。

 

私は決して1人ではありませんでした。

私には学校外に友達や味方がいて、他校に今も仲のいい幼馴染や習い事の友達、インターネットのお絵描きソフトで仲良くなったネ友(もうこれは死語かもしれない)が居たので、誰もいない!という訳ではありませんでした。

 

 

ある時、クラス内でも1番と言っても過言ではない、取り巻きもいるようなリーダーの女の子が居ました。

彼女とはそこそこ仲が良く、一年生の頃からクラスや班が一緒でした。可愛くて、美人で、積極的に委員会や班長をして、勉強も運動もできる、憧れの子でした。

その時は休み時間で、私は机で絵を描いていました。

彼女と取り巻きのような女の子達は話をしており、話をしているうちに取り巻きの子が1人、どこかに行きました。

その子がいなくなった後、他の取り巻きの子が「今日はどうする?(いなくなった取り巻きの子)も呼ぶの?」と言うと、彼女は「うーん」と悩んだ後、

「もうあの子はいいや。」

と言いました。

 

絶句でした。

私の中で何かが崩れ、ただ恐怖心だけが残りました。

あんなに仲良かったのに。そんなにあっさり、「もういいや」なんて言えるの?

「もういいや」ってなんなんだ?

 

当時の私はとにかくショックでした。

もしかしたら、彼女たちは彼女たちで何か問題を抱えてたのかもしれません。

それでも、私には怖くて仕方ありませんでした。

 

そして、決定的な出来事が起きます。

私はこの頃からオタクを拗らせていて、隣のクラスにいる2人の女の子と仲良しでした。

2人ともオタクで、漫画の貸し借りをしていたりしました。

ある時、そのうちの1人の女の子が私に似顔絵を描いてくれました。

絵が上手で、私も絵を描いていたので憧れていて、凄いなあといつも思っていました。

絵をもらった私は嬉しくて嬉しくて、大事に机の鍵が付いた引き出しにしまいました。

 

 

貰ってしばらく経ったある日、仲のいい男子が「お前さ、(絵を描いてくれた子)の絵、勝手にコンクール出したの?」と言いました。

 

一瞬何を言っているのか理解出来ず、でもおかしいことはわかっていたので詳しく聞くと、

 

私が彼女から貰った似顔絵を、コピーして「私が描いたもの」としてコンクールに提出したと彼女が言っている。

 

ということでした。

 

勿論、真っ赤な嘘です。コンクールなんか出したことありません。やり方も分かりません。

第一、大事に引き出しに仕舞っています。

 

放心状態でしたが、私が「そんなことをしてない」と否定すると、彼は「だよね」と言っていて、彼もよく分からない様子でした。

 

その後のことはよく覚えていません。

でも、悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。

あんなに仲良かったのに。

友達だと思っていたのに。

彼女から泣きながら電話がかかってきた時は、彼女を慰めて、一緒に解決したのに。

 

裏切られたと私は悲しくて大泣きしたような気がします。

その日を境に私は彼女と殆ど口をきかなくなり、もう1人のオタク友達と一緒にいました。

 

でも、日に日に鋭くなり、私を刺す悪口。根も葉もない噂。でも笑っていないといけない息苦しさ。誰も頼れない孤独感。

人の目がだんだんと怖くなっていき、学校に行きたくないと思い始めました。

 

 

ある朝、学校行く前に急にお腹が痛くなりリビングで駄々を捏ねていると、母は学校を休ませてくれました。

なんだ。こんなに簡単に学校休めるんだ。

この日から、学校に行きたくないと思うと仮病を使いました。

 

私は、仮病を使うことは悪いとは思いません。それくらい本人にとっては辛いんです。苦しいんです。

だけど、やっぱり誰かに頼れたらいいなと思います。頼るのは親じゃなくてもいいし、先生じゃなくてもいい。誰でもいいので、本当のことを話せる心の拠り所があればいいなと思います。

 

 

今回はここで区切ります。

全然病気に触れてないや〜ん!と思う方もいると思いますが、精神病は風邪や感染症のように、菌やウイルスが体内に入って発症することは少ないです。

多くは、脳に障害や異常があったり、心理的なストレスによるもので、私の場合は後者にあたります。

ストレスというものは、長い時間かけて心や脳を侵食していき、気づいた頃にはもう病気になっているということが多いです。

私の精神病は、幼少期からの性格や環境がだんだんと心を弱くしていき、決定打となる出来事で一気に崩れました。心の老朽化です。

なので、この記事はもう私の今までの人生を語る形になりますが、私の心の整理の為でもあるので、生暖かい目で見守ってください。

 

読んでくださってありがとうございました。